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    <title>Poem on Nyanmo main blog</title>
    <link>https://www.nyanmo.info/tags/poem/</link>
    <description>Recent content in Poem on Nyanmo main blog</description>
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    <lastBuildDate>Sat, 05 Sep 2026 04:59:20 +0900</lastBuildDate>
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    <item>
      <title>LINEは使わないようにしている</title>
      <link>https://www.nyanmo.info/posts/poem/nomoreline/</link>
      <pubDate>Sat, 05 Sep 2026 04:59:20 +0900</pubDate>
      <guid>https://www.nyanmo.info/posts/poem/nomoreline/</guid>
      <description>&lt;h2 id=&#34;このポエム作成の動機となった記事とか&#34;&gt;このポエム作成の動機となった記事とか&lt;/h2&gt;
&lt;ul&gt;
&lt;li&gt;LINE AI トークサジェストがもたらすプライバシー危機：今こそメッセージングアプリを見直す時 • The Cyber Flamingo&lt;br&gt;
&lt;a href=&#34;https://www.cyberflamingo.net/line-ai-talk-suggest-stop-using-line/&#34;&gt;https://www.cyberflamingo.net/line-ai-talk-suggest-stop-using-line/&lt;/a&gt; (2026年9月5日)&lt;/li&gt;
&lt;/ul&gt;
&lt;h2 id=&#34;関係ありそうな記事&#34;&gt;関係ありそうな記事&lt;/h2&gt;
&lt;ul&gt;
&lt;li&gt;&lt;a href=&#34;https://www.nyanmo.info/posts/linux/mailcow/&#34;&gt;Mailcow を使いたい&lt;/a&gt;&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;&lt;a href=&#34;https://www.nyanmo.info/posts/webdevelop/stopgooglechromefromshowingaimode/&#34;&gt;Google Chrome で AI モード と AI Overview を止めたい (uBlock Origin についても言及あり)&lt;/a&gt;&lt;/li&gt;
&lt;/ul&gt;
&lt;h2 id=&#34;なんとなく書いただけの文章&#34;&gt;なんとなく書いただけの文章&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;　2023~2025年に LINE 殺意マシマシでスマホを殴りつけながら仕方なく使っていることがあった。毎回ユーザの足元を見ながら改悪してくことについて、検索してもろくな記事出てこないなと思っていたことがあった。しかし、ついに2026年になってようやく LINE について否定的な記事が出てきた気がするので、自分がどうしているか、記事にしてみようかなと思ったところである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　LINE についてそもそも私個人として看過きないとしている項目はすぐに思いつくものは以下のとおりである。&lt;/p&gt;
&lt;ul&gt;
&lt;li&gt;AI 機能と称して、LLM を強制的に組み込み、完全に無効化するオプションをなくして、一ヶ月くらいだけその項目を出さないようにするというオプションしかない。ユーザの拒否権を尊重しない態度である。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;メッセージ削除を有料機能として人間関係を人質に取ろうとしている。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;もとからシェアが偏っており、多くの日本人が日常的に使い、日本郵便など様々なサービスが LINE に提携しており、偏って少なくとも日本国内において力を持っている。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;情報技術に疎い層をダークパターンであからさまに狙い撃ちしている。広告ドメインを、LINE メッセージ本文と一緒にすることで広告ブロックを妨害するなど、意地でもユーザを支配しようとする。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;現状は買収により、ヤフー傘下のサービスであり、かつ斜陽のサービスで、どう考えても特定の層の日本人を狙い撃ちする以外の意図が見えない。LINE スタンプが、LINE以外で使えないとかは、確実にすでに既存のユーザかつ技術や自らの権利に興味関心を積極的に持たない疎い層にとって刺さっていると思われる。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;疎い大多数を利用することで、無理やり技術や権利に積極的な層もねじ伏せられているように見受けられる。現状をわかっている人にとって、LINE は消極的な選択肢として、連絡手段として存在しているということだと思われる。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;LINE Lite などのメッセージングだけに特化したシンプルで必要十分なアプリを削除し、ショート動画サービスの真似事を使いたくないユーザにも押し付けてくるなど、ユーザに対して実装が上から目線すぎるし、明らかに大多数の相手が誰かわかったうえで実装されているようにしか見受けられない。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;ほとんどの人が利用規約を読んでいないとわかっていながら、都合のいいように内容を書き換えていると思われる。重要な項目は完結に短く、大きく提示するとかもなく、ユーザに責任やリスクを転嫁しようとする姿勢が多々見受けられる。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;既存のユーザに対して茹でカエルの現象が起こっているおそれがある。段階的な改悪の導入は、一定の鈍感な層の離脱を防ぐ目的があると思われる。&lt;/li&gt;
&lt;/ul&gt;
&lt;p&gt;　これら問題から、私が出した現状の答えとしては、E-mailへの回帰と、RCSメッセージの利用である。RCSメッセージに関係する Google 自体も、かなり LINE と似たような問題を持っているため、自前のドメインとメールサーバによる運用を併用し、重要なやり取りはメールで行うようにする方向性になってきている。結局のところ、中央集権的なアーキテクチャのアプリや SAAS などは極力使いたくない。使用に伴うリスクと代償があまりにも大きすぎる。私はそれらに対して、政治的にも加担したくないので、私個人にまつわることとしては徹底的に排除したい。いづれにせよ、LINE は改悪の兆候があったわけで、前々から使いたくないが、人間関係や仕事のために仕方なくというベンダーロックインの話自体はネットにあったが、最近の改悪ぶりはいよいよという感じである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　E-mail の回帰については、自前でサーバを持ったりすること自体は、セキュリティを考慮する必要もあり、ある程度ネットワークに理解がある必要もあり、万人には勧められないことかもしれない。しかし、Proton Mail など、既存の様々な代替手段を検討するだけでもやらないよりはマシだと思われる。理想をいえば、メールをバックエンドにしてメッセージングアプリを作るというのも1つある提案だと思われる。というか多分すでにある気もする。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　少なくとも私の身の回りでは、重要なことはメールで進むことがそもそも多く、LINE は例えば大学では学生同士に関するやり取りに使われていたことが主だったように思う。最近は本格的に LINE は廃止方向にしており、身内とのやり取りには使用を禁止とし、現状の LINE は LINE 以外の手段が完全に死んだときだけに消極的に、かつ一時的に残しているに過ぎない。そう遠くないうちにアカウント削除も検討している。また LINE はスマホでは利用を禁止し、PC 版(純粋なメッセージ機能のみの実装となっているため、広告も出ない)のみの利用とする。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>情報の限界について</title>
      <link>https://www.nyanmo.info/posts/poem/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E9%99%90%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/</link>
      <pubDate>Fri, 04 Sep 2026 03:44:17 +0900</pubDate>
      <guid>https://www.nyanmo.info/posts/poem/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E9%99%90%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/</guid>
      <description>&lt;h2 id=&#34;今回考察する対象の言説&#34;&gt;今回考察する対象の言説&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;　単一の情報を調べるからだめなんだ。複数の情報を同じ対象に対して調べれば偏りはなくなる。ググれカス。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;なんとなく書いただけの文章&#34;&gt;なんとなく書いただけの文章&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;　複数の情報を同じ物事に対して調べて情報を漁っても、そもそもの情報が偏っていたら話にならない。ネットでは、LLM とかが話題になる以前から、そもそも同じようなことを異なるメディアが発信するという状態が存在しており、現在はそれがよりひどくなっていると思われる。あくまで、複数の情報源を利用することは、リスクを低減しようとする試行錯誤の手段ではあっても、絶対的な対策ではなく、逆に逆手に取られて対策を破られてしまうおそれがある。複数の異なるメディアや異なる記事に見せかけて、特定の方向性に話を持っていこうとするという情報操作はあり得ると思われる。情報を調べた者としては複数の情報にあたったのだから大丈夫だろうと油断し、あくまで緩和策でしかないことを信じ切るという油断があると思われる。これに対する対策は、異なる情報源に触れたことではなく、様々な情報源にあたった上で、どれだけ比較してみて異なる情報が実際のところあったか確かめたり、情報に傾向や偏りがないか調べることが考えられる。また、それをしたうえで、あくまで暫定的であるとする態度を情報に対して崩さないことが重要であると思われる。自分で直接体験して現場を知っているとかでもない限り、情報と付き合うことは常に疑い続けることとセットであり、万能な方法はない。これは情報が有料、無料ということに限らない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　情報を得るコストが高い情報が複数あり、同じことに対して異なる記述がある場合は比較的リスクは低いかもしれない。逆に情報を得るコストが低い情報は、同じことに対して複数の情報を集めたところで、リスク低減には効果がないか、逆にマイナスになるかもしれない。さらには、情報を得るコストが高いからと言って、必ずしも期待した情報が得られるとは限らない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　情報を方法によってうまく扱おうとすることは、限界があり、現実的ではないところが多いように見受けられる。汎用に情報にまつわる問題に対処する方法といえば、せいぜい精神的余裕がないことを自覚するとか、情報を受け取ってもすぐには判断せず、必ず寝かせて冷静になってからちょっとづつ考えるとか、そもそも期待している情報が存在しない可能性を考慮するといった、時間をかけた長期的な視点でしか取り組めないことしかないだろう。短期的な視点で、かつリスクを情報において背負いたくなければ、無理してまでそもそも情報を得ようとする事自体をやめたほうがいいかもしれない。情報を得る前に、そもそもなぜ情報を受け取ろうとしているのか、自問自答したほうがいいかもしれない。そこで明確な目的が出てこなければ、それは自分の意思ではないかもしれない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　複数の情報媒体を合わせることは、異なる立場、異なる利害、異なる都合、異なる背景を持つ情報発信をする存在を組み合わせるということになる。また、異なる存在による情報を複数集めているつもりでも、実際には同じ立場、同じ利害、同じ都合、同じ背景による情報を掴まされている可能性が常にあり、情報発信者がどうやって情報を作っているかをすべて検証したり知ることは読者にはできないことに留意する必要がある。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　私個人としては、ネット、テレビ、新聞、ラジオ、LLMやAIだと呼ばれている物など様々な情報を媒介するブローカやプラットフォームのようなものは、どれかに優劣があるということではなく、それぞれの情報の性質や傾向は異なれど、基本的には信頼できないと考える。実際に当事者として体験したこと以上に信用できる情報はないと考える。それ以外の情報においては、どれも優劣は基本的にないと考える。何かを仲介したり媒介して情報が出てくるまでにブラックボックスがある物事は、どの媒体や複数の情報であっても何を使えば有利だとか賢いということはなく、それぞれの情報を媒介するブラックボックスを持つ物事は、相殺し合うようにメリットとデメリットと言えるものを持っていて、どれがいいとは一概に言えないと思われる。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　さらには、情報には、特別な共謀や悪意がなくても、暗黙の了解や集団内で共有されたことを異なる情報間で暗黙の前提として無自覚に書き手、読み手の多くがそのままにしていることがあり、それが情報に偏りと誤った確信を与えてしまうおそれがある。すべての情報の偏りが悪いとは言えないかもしれないが、それはすべての情報の偏りが良い、無害であるとも言えないことを意味している。問題のある情報は、表向きの顔としては、”正統で客観的で理性的で冷静で正しいことだ”と決めつけられているという可能性さえある。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　賢く情報を選別したり選べるという話は、循環ているところが見受けられる。うまく情報を扱うための方法に関する情報が一体どこから来るのかという問題を持っている。厳密には、うまく情報を扱う方法は、完全体としては存在することが物理的にできないと考えられる。無限の時間やリソースを要求しており、物理の学問で言う実際には観測できない論理上の神視点の値である&amp;quot;真値&amp;quot;と同じであるとそれは考えられる。現実には、各個人や各組織が、できる限りの範囲で、できる限りの視野で、常に決断や判断を迫られて存在しており、失敗したり間違えることをどんなことに対しても防ぐことはできない。あくまで、結果として、事例として、成功したり問題が起こらなかったこともあったかもしれないという程度が限界だと考えられる。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>誰かがやっているからやらないという言説について</title>
      <link>https://www.nyanmo.info/posts/poem/%E8%AA%B0%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%A8%80%E8%AA%AC%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/</link>
      <pubDate>Thu, 03 Sep 2026 18:06:03 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;h2 id=&#34;ポエムに影響を与えたり書くきっかけを与えたと思われるサイト&#34;&gt;ポエムに影響を与えたり書くきっかけを与えたと思われるサイト&lt;/h2&gt;
&lt;ul&gt;
&lt;li&gt;「既に他人が書いているから」は、あなたが書かない理由にならない。｜クロネのブログ&lt;br&gt;
&lt;a href=&#34;https://kurone43.com/tanin/&#34;&gt;https://kurone43.com/tanin/&lt;/a&gt; (2026年9月3日)&lt;/li&gt;
&lt;/ul&gt;
&lt;h2 id=&#34;なんとなく書いただけの文章&#34;&gt;なんとなく書いただけの文章&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;　誰かが既にやっているかもしれないから、自分はやる意味がないということに関しての詭弁について。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　その詭弁とは、誰かが既にやっているからと言ってそれが別の人々にとって利用可能である事とは異なることがある。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　たとえば、コンビニやスーパーは各地域に一定区間ごとに存在している。これは、それぞれが同じ機能を提供しながら、物理的な距離というコストによって、利用され続けるからである。例えば、東京都心にでっかいスーパやデパートを一つ建てたからと言って、地方や別の地域の人がそれを利用できるということにはならない。そこには移動という物理的なコストが存在しており、物理的には中央集権が成立しないためである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　これは、その話に限ったことではなく、様々なことに適用される。例えば一つ完璧なスマホを作ったから、全員がそれを使うということにはならない。シュアが大きい、小さいなど、マーケットの割合として傾向は現れるが、それでも完全に一つのスマホだけとはならない。ここでそれら多様性を成り立たせるコストとは、時代背景と値段という観点が考えられる。まず時代背景に応じて、作れるスマホは物理的に異なる。単純に考えれば、未来のスマホほど同じ価格帯でも高性能になっていき、過去のスマホほど、時代に制約されて低性能なものになる。また、スマホの買い手も、富裕層だけではなく、中流層から貧困層まで、様々な層のニーズがありまた、どの階層に属していてもスマホに求める性能や機能に応じて、どれだけスマホにお金をかける意思があるか、購買意思があるか、それぞれ異なる需要があることは明らかである。スマホを使いたくないけど仕方なく買うという人はあまりスマホにお金をかけたくないかもしれないし、スマホをバリバリに使いたい人は、高性能で高価で使っていて心地よいスマホがほしいかもしれない。同じスマホというジャンルにおいても、同じ事をする競合が存在する事を否定することにはならない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　もちろん、作るもの次第において、需要や市場の大きさは大きく異なり、母数が小さいので、思うように当たらないということは、よくあることだと思われる。それはその需要が無意味なのではなく、それ以外の需要に対して少なくとも他人から得られる収益や注目という観点からは、不利であるということである。そもそもその事を知るためには調査が必要であり、調査の一環には実際に作って売ってみるなど、実際に試行錯誤してデータを集めるしかないことが多い。基本的に試行錯誤や作ったものと、当事者としての自分は、個人としての自分と結びつけることは推奨されない。相手にしている物事は多様で気まぐれなことであり、制御できないことが多々あるということである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　既に誰かがやっている事を真似しても完全に同じにはならず、同じジャンル内で、異なる物事として作ったものは成立することになる。また、現実問題として完全な制御など存在しないが、試行錯誤しないことには、どうにもならないという現実からして、誰かと同じような事をやっていることが、必ずしも悪いことだとは限らないということである。何であれ、実際にとにかくやった人に対して、やっていない人は口を挟めないということである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　別の視点では、人々が共有して同じ物を意味しているつもりでも、実際には異なる物を意味しているというケースもある。言葉上では同じことになっているが、実際にはそうではないということがある。例えば、身近な例では男女という言葉を例に上げると、具体的にどんな容姿をしている存在を男や女だと捉える傾向があるかなどは、大きく個人差が出るところである。それを生物学的な観点から捉えたものを判定の基準に添えているのか、それとも印象で判断しているのか、男や女の例として判定者はどんな体験を持ち出しているか、個人差がないわけがない。&lt;br&gt;
　他の例では、白人と黒人という例もあるだろう。誰を白人だとして、誰を黒人だとするか、それはいろんな解釈があるものであろう。同じ作品を繰り返し見ても、かならず同じ体験や感想になるとは限らないだろう。&lt;br&gt;
　同じ事を意味して意味を共有しているつもりになっているとき、基本的に共有できていると言えそうなものと、できていないと言えそうなものがある。共有できていると言えそうなものは、個人の主観に基づかない物事である。例えば信号機は、赤、青、黄色の三色で構成されるということは、誰に対しても基本的に伝わるであろう。共有できていないと言えそうなものは、好き嫌いだったり、対象に対して、どう感じるかということだったり、対象に対して関係している考えや思想、思い出される記憶、人生で体験してきたことの母集団の偏り、その時その時の状況や都合など、いろんな物事から構成される各個人が対象に結びつけて捉えていることの無数の数々である。ここでいいたいのは、客観的なことが良いということではない。主観的なことが悪いということではない。客観的なことと、主観的なことは不可分に結びついているとは言えるかもしれない。同じ対象に対して、共有できていると言えそうな、客観的な要素があることは、共有できていないと言えそうな主観的な事がそれら対象に対して結びつかない事を保証しない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　学問でよく設定されるような理想状態は現実には存在しないので、完全な対照実験にもならず、完全に同じ条件で物事を繰り返すことはできない。時間は一度経てば、もう戻らない。異なる時間にやった同じ形式の物事は、どれだけ結果が似通っていても、同じ物にはならないし、同じ影響をもたらすとも、同じ結果になるとは言えない。あくまでそれらは、傾向として、異なる時間にやっても、似たような影響や結果が得られる物事があるということである。それをある程度考慮して、これからやる事を決めようとすることはよく試みられていることであるが、フレーム問題にぶつかり、結局完全にはならない。今の一瞬さえ完全に把握することもできないのにもかかわらず、全てを過去の物事から基づいて”賢く上手くやる”ことが現実的なわけではない。どうしても思うようにならないことは起こる。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　そもそも、同じだと思っていることが、実際には異なることであることを自覚していなかったり把握していないとも言える。それもまた人間の不完全性と認知の限界から説明がつくことだと思われる。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　誰かが既にやっているかもしれないから、自分はやる意味がないということに関しての詭弁には、２つの側面が見受られる。一つは、それを主張する側、もう一つは、それを利用する側（受け取る側）である。&lt;br&gt;
　主張する側は、相手に対してやってほしくないことに関して、そのような詭弁を使う可能性がある。相手に対して、特定の物事をやることが、賢明ではないという主張をすることで、主張者自らは自分を安全圏に置いて、周囲から好印象を引き出そうとしつつ、相手を下げたり、集団内において活動を不利にしたいということがあるのではないかと考えられる。&lt;br&gt;
　利用する側（受け取る側）は、現状の自分を正当化したり、自らの心身に対して言い聞かせて何かを自ら抑制、抑圧するために、そのような詭弁を使う可能性がある。やらなくてもいい理由を作るために、辛いときや余裕がないときなどに、そのような言説を利用する可能性がある。&lt;/p&gt;</description>
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